卓話の世界

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卓話 2022年5月12日

日本とチベット、異文化を超えて - 故郷と日本に恩返し-

 声楽家・社会活動家 バイマー・ヤンジン 様 

  私はチベットの田舎町で育ちました。遊牧民の両親は自給自足で大変貧しく、11人の子供のうち、3人を亡くしました。それでも、私達を一生懸命に育ててくれました。

教育を受けていない両親は字が読めません。病院でもらう処方箋も読めないし、自分の名前を書くことすらできません。母は町に行ったとき、公衆トイレの「男性」と「女性」の文字が読めず、間違って入ってしまい、大恥をかいたこともありました。

つらい経験をたくさんしましたが、その中でも決定的だったのは先祖代々の土地を奪われたことです。ある日、契約書に拇印を押してほしいと役人がやってきました。とても優しそうな人でしたし、契約書の内容も土地とは関係がないと、口頭で読んで聞かせてくれたのだそうです。それで、その人を信用して両親とも拇印を押したのですが、あくる日から柵が張られ、遊牧民にとって大切な土地を3分の2も取られてしまいました。

両親は激しく嘆き悲しみ、「私達は牛と一緒だ。右に行け!と言われれば右に、左に行け!と言われれば左に行くしかない。こんな悔しい思いは子供たちにさせてなるものか!」と小学校がある町に定住することを決めました。
けれども、収入のあてがありません。一番上の兄がそれを悟り、「僕が家畜の面倒を見るから、お父さんとお母さんは弟、妹の面倒をみてください」と牛と羊の世話を一手に引き継ぎ、遊牧生活を続けてくれたのでした。

9番目の私は、両親と兄の気持ちに応えようと必死に勉強し、高校に進学。家から300キロも離れた高校は寮生活となり、消灯は午後9時。そのため、夜間でも電灯がついている校舎のトイレに本を持ち込んで、午前2時ぐらいまで勉強しました。冬はいてつく寒さで手足がしびれ、夏は臭くて倒れそうになりました。くじけそうになったとき、両親、兄弟を思い出し、頑張りました。

おかげさまで、国立四川音楽大学に合格、卒業後は専任講師として大学に残り、先生になりたいという自分の夢をかなえることができました。
そのとき、運命的な出会いをしました。隣りの四川大学に留学していた日本人(今の夫)と知り合い、結婚したのです。1994年に来日しました。
初めての日本は本当に驚きの連続でした。豊かで、便利で、秩序正しく、教育も医療も整っていることに衝撃を受けました。
日本はなんでこんなにチベットと違うんだろう?と不思議に思うようになりました。日本のお父さんに聞いてみたところ、お父さんは私に「日本はね、教育だよ。教育」と言いました。「日本は島国で、大した資源にも恵まれていないから、昔の日本人はね、一生懸命教育に力を入れて、人を育ててきたんだよ」と話してくれました。

教育だけじゃない日本のパワーの秘密を教えてくれたのは、今でも尊敬している日本のお母さんでした。知的で、自立していて、おしゃれなお母さんを、私はうらやましく思っていました。
「お母さん、日本人でよかったね。日本で生まれたから、お母さんは幸せ。チベットのお母さん、本当に苦労しています」。
ある日、また同じことをお母さんに言いました。すると、その日はなぜかお母さんはバッと突然立ち上がったんです。きびしい口調で「お母さんもずっとこんなに幸せじゃなかったの!日本もずっとこんなに豊かじゃなかったよ!お母さんも今までたくさん苦労をしてきた。日本もいろんな時期があったのよ!」と大きな声で話し始めました。

そして、お母さんは、初めて戦争の時の苦労話、命辛々満州からの引き上げてきたこと、焼け野原の日本での貧しい暮らしなど話してくれました。「日本人は戦争でどれほど惨めな思いをしたか・・・。日本人は血と汗と涙で、今の日本をつくったんやで」。
日本のお母さんが泣くのを初めて見ました。派手で華やかな姿の裏側に、そんな苦労があったことをまったく知りませんでした。
それでも、最後、お母さんは私に向かって、「あんたもな、チベットが大変、大変とごちゃごちゃ言ってないで、頑張れ!チベットもなんとかなるわ!」と励ましてくれました。

 そのことがきっかけで、私はチベットの子供たちを学校に行かせよう、故郷に貢献できる人材を育てようと決意しました。
でも、最初に学校をつくるときは本当に大変でした。当時、私はハンバーガー店でアルバイトをしていて、収入は限られていました。それでも、あきらめずに、十年、二十年かかってもいいからチベットに学校をつくろうと一生懸命努力しました。

夢は、あきらめてしまえば、それまで。でも、一歩ずつ歩んでいけば、いつかはたどり着くだろうと思って頑張りました。
やがて、たくさんの方々からご支援いただけるようになり、おかげさまで、これまでに小学校9校と中学校1校が完成、現在3000人以上の子供たちが教室で目を輝かせて学んでくれています。

 日本に来てからはコンサートだけではなく、講演活動もしています。数年前、ある小学校で講演したとき「幸せですか」と子供たちにたずねました。「幸せ」という返事が返ってくるものだと思っていたのに、答えは「べつにぃ」「わからん」でした。衝撃を受けました。
 「わからんわけ、ないでしょう!こんな立派な学校で勉強できて。あなたのために、お父さんは満員電車に揺られて一生懸命働き、お母さんは自分の夢も捨ててご飯をつくって、学校の先生はどうやったら理解できるかと頭を悩ませながら教えてくれる。わからんわけ、ないでしょう!」
 私は本気で話しました。でも、言われた子供たちはきょとんとしたままでした。

 私から見れば、ご先祖様が苦労して、今のような素晴らしい社会を残してくれたのに、この恵まれた環境をありがたいと感じない。幸せだと思わない。これほど不幸なことはないです。

これを機に、私は日本とチベットの子供たちの交流もはじめました。相手の文化に触れ、比較することで、新しい価値観を知り、自分の国、伝統、文化、習慣のいいところにも気づいて、まず感謝をするようになってほしいと思ったからです。

 私もチベットより日本の生活のほうが長くなりました。日本、特に来日後ずっと暮らしている吹田はもう第二の故郷です。これからもチベットには教育支援で恩返ししていくつもりですが、日本の子供たちがより幸せを感じられるように、私もコンサートや講演を通して、微力ですが日本にも恩返しをしていきたいと思っています。

 本日はご静聴ありがとうございました。

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