元号と紀年法
中牧 弘允 様
来年の5月1日に新天皇の即位にともない改元がおこなわれます。日本では645年に「大化」と号したのが最初とみなされています。明治天皇が即位し改元がおこなわれた時、『明治天皇記』には天皇がくじを引き「年号の字を聖択したまふ」とあります。その字は「明治」でした。つまり、漢字の名称を冠したのが「年号」です。これに対し、代始め(即位)から数えるのが元号です。
他方、日本では中国年号を知りつつも邪馬台国や倭の五王の時代には独自の年号をたてることはなく、聖徳太子ゆかりの「法興」年号も私年号とみなされています。年号が継続的にたてられるのは律令体制が整備された「大宝」(701)以降で。大化から平成にいたるまで、日本年号は247を数えます。1370年以上も日本は年号を使用してきただけでなく、清朝の滅亡とともに、世界で唯一、長期的かつ持続的に年号をつかう国となりました。
年号は紀年法の一種です。中国の干支やマヤの長期暦もそのひとつですが、建国紀元や王制紀元のような政治的紀年法もあれば、ユダヤ暦の天地創造紀元やキリストの生誕紀元のような宗教的紀年法もあります。年号はいちおう王制紀元に分類できますが、即位にともなう代始改元だけでなく、祥瑞や災異によっても改元することが頻繁にありました。また辛酉革命理論にもとづく改元もおこなわれました。
東アジアにおいて、年号や元号に準じた数え方は台湾や北朝鮮にも見られます。台湾では「民国何年」という1912年の中華民国を紀元とする中華民国暦が使われています。他方、北朝鮮では金日成の3周忌にあたる1997年から金日成の生誕(1912年)を紀元とする主体年号が採用されています。主体とは金日成のとなえた思想を指し、政治の自主、経済の自立、国防の自衛を強調するものです。中華民国暦は日本の皇紀や韓国の檀紀のような建国紀元であり、主体年号は亡くなった指導者の生誕紀元であって、即位や勅定の伝統を引く年号とはかなり異なった性格を有しています。ちなみに、インドネシアのバリ・カレンダーにはいまでも皇紀が載っています。
元号と組み合わせる紀年法に西暦があります。その使用頻度や序列には歴史的変遷があります。新聞の場合、西暦を最初に元号を括弧にもってきているのは朝日新聞(1976年元日〜)毎日新聞(1978年元日〜)読売新聞(1988年元日〜)日本経済新聞(1988年9月23日〜)産経新聞(現在でも元号が先)です。また干支も紀年法としては重要でしたが、いまでは年賀状くらいにしか使われません。改元に向けていろいろ考えることがあるようです。