卓話 2016年10月20日

過去の卓話一覧はこちら 

ヘルマンハープを日本で育てて


日本ヘルマンハープ振興会会長
梶原 千沙都 様

 ヘルマンハープはドイツ・バイエルンの農場主、ヘルマン・フェー氏がダウン症の息子のために1987年に考案したハープです。フェー氏は、音楽をこよなく愛する息子さんにメロディーを奏でられる楽器を弾かせてやりたいと、専門家のアドバイスを得ながら“アンドレアスのための楽器”製作に乗り出します。アンドレアスさんに試作品を弾かせてみては改良を重ねるという10年近い歳月をかけ、ようやくヘルマンハープが完成しました。
 その後、アンドレアスさんが美しい音色でハープを奏でる姿を見て、彼と同じ作業所に通う障がい者の親御さんがフェー氏の工房を訪れるようになり、自分の子どもにもこの楽器を分けてほしいという要望が出てきました。その数は増え続け、健常者もまた五線譜が読めなくても弾ける美しい楽器を求めてヘルマンさんのもとを訪れるようになりました。これがドイツでのヘルマンハープの発祥の経緯です。
 私がヘルマンハープと出会ったのは、夫の赴任先のウィーンに住んでいた2003年のことです。旅先で訪れたニュールンベルクの福祉介護メッセで小さなスタンドに立つ老婦人にやさしく呼び止められたのが始まりでした。“ちょっと、こちらに来てごらんなさい。きれいなのよ。すぐ弾けるのよ”と呼ばれる言葉のままに、私は初めて見るハープの前に立ちました。ハープの姿形のやさしさもさることながら、爪弾けば胸に染み入るような音色は忘れがたいものでした。
 そしてその後、ヘルマンハープのクリスマスミサのコンサートを聴いたことが、ヘルマンハープの日本での普及をお願いしてみようという私の思いを決定づけました。コンサートでのヘルマンハープのアンサンブルを見ると、知的障がい者・老若男女の健常者が全くバリアフリーの状態で混在していました。“このハープを弾いている自分の姿を誰もが素敵だ”と感じながら演奏されている様子が一目で見て取れました。奏でられる音色のやさしさ、美しさ、そして世代やハンディキャップ、音楽経験を超えて人を結びつけるその音色の美しさに声を失いました。
 自分にこの大切な楽器を普及させてもらう力があるのか?自分で自分を試すためにドイツの製造元で発表した事業計画が評価され、日本でのヘルマンハープの専売契約を締結して帰国しました。
 本格的な音色を持つヘルマンハープは、日本人の「学びたい」「もっと上手に弾きたい」という向上心を掻き立てました。想定外だったのは、自分がヘルマンハープの音楽の指導者として活動をはじめ、本国ドイツにもなかったヘルマンハープの基礎や奏法を開発し、音楽之友社からヘルマンハープの教則本を出版することになったことです。楽器を預かったものの使命が、「ヘルマンハープを立派なブランドに育てる」ために、「ほかの楽器の真似事のようないい加減な弾き方を教えてはならない」と、一人の主婦であった私を奮い立たせたのだと思います。
 今日本では、約4,000名の愛好家がヘルマンハープを楽しみ、私が指導するインストラクターの教室は全国に約150か所を数えます。ヘルマンハープ誕生の意味であるバリフリー性と本物の楽器としての芸術性。この二つの軸を大切に、自分の美しい音に包まれる喜びをより多くの人に伝え、様々な人の人生が暖かく輝くことを見守りながらヘルマンハープの普及を進めていきたいと考えています。