ロータリーの誕生

   ロータリーの誕生

ロータリークラブは、20世紀に入ってまだ間もない1905年、米国イリノイ州シカゴの青年弁護士ポール・ハリスが「友情とビジネスを混ぜ合わせたら、友情もビジネスも増えるのではないか」というアイディアを基にして、3人の友人と語り合って発足させたものです。
ポールは、同業者間の親睦の難しさを痛感していたので、競争相手とならない友人の輪をつくりだそうと、会員を一業種一人に制限したのです。これが、ロータリーの職業分類制度の始まりです(「ロータリーの発祥」、ロータリー情報集、1998年版、7ページ、RI第2660地区規定情報委員会)。

これによって、他の会員から商売上の利益を得ることを目的として入会したような人でも、クラブ内の温かい雰囲気に包まれて、利益よりもっと満足できるもの、すなわち「親睦」を見いだすことが出来るようになりました。他の職業の会員と話し合い、友情を育て、互いに協力して地域が抱えるいろいろな課題の解決を支援できるようになったのです。

ロータリーの親睦は、単に会員同士が仲良くするというだけではなく、奉仕活動の基礎となるものでした。さらに、共に行う奉仕活動が一層親睦を深めることになりますので、ロータリーは親睦と奉仕の融合の場となったのです。
この職業分類制度によって、会員は、クラブに対しては自己の職業の代表者という責務を負うことになり、また、ロータリアン以外の人に対しては、日常の仕事を通してロータリー精神を普及する責務を負うことになりました。この二つの責務が職業奉仕の基盤となったのです。

   日本ロータリーの誕生

 三井銀行の重役であった米山梅吉は、1918年財政調査団の一員として渡米し、ダラス・クラブ会員の福島喜三次に会い、初めてロータリーの話しを聞き、大いに感動し、帰国後2年余りロータリー精神と組織の研究に努めました。
1920年1月、福島喜三次はダラス・クラブから結成の要請を受け、シカゴの本部からも依頼されて帰国。在日米人ウイリアム・ジョンストンの応援を得て、9月1日設立準備会を開き、創立総会は10月20日、創立会員28名、会長米山梅吉、幹事福島喜三次、翌1921年4月1日登録番号855で加盟承認されました。
1928年、日本・満州・朝鮮・樺太・千島・台湾で第70地区が設定されました。クラブ数は日本6、朝鮮1で初代地区ガバナーには米山梅吉が就任しました。第二次世界大戦のため1940年9月4日にRIを脱退。戦後1949年3~5月にRI復帰。以後発展の一途をたどり戦後50年で世界第二のロータリー国となっています。

(参考文献:Rotary Japan 、国際ロータリー2660地区ロータリー百科事典、大阪ロータリークラブホームページ)